はじめまして、田邊晋司と申します。よろしくお願い致します。本日はお忙しい中、お時間を割いて頂きありがとうございます。
というような当たり障りのない定型文を棒読みにならないように気をつけながら口にしつつ何度かお辞儀をし、相手に勧められるのを待ってから、晋司は目の前の椅子に腰を下ろした。相手も晋司に続いて椅子に座り、持っていた書類を机の上に広げ始める。先週かその前の週くらいに晋司が郵送した履歴書と職務経歴書の原本とそのコピー、会社概要や社長からのご挨拶が書かれたパンフレット、業務内容や給与体系や福利厚生などの規定が書かれたA4の紙を几帳面に並べ終わったところで、相手が口を開いた。
「それでは自己紹介と志望動機をお聞かせください」
そこから先は改めて語って聞かせるほどの目新しさも面白みもない、至って普通の就職面接らしいやり取りが続いた。かろうじて珍しいと言えそうなのは、晋司が大学卒業を間近に控えた就活生ではなく、四十代後半を間近に控えた中年男だという点くらいだろうか。いや、それも今や、たいして珍しくないかも知れない。
「ところで、この期間はどういったことをされてたんですか?」
業務内容の細かい部分を説明し終えて一息ついたところで、面接担当者は職務経歴書の真ん中あたりを指差しながら、晋司にそう問いかけた。そうそう、そうだった。かろうじて珍しいと言えそうな特徴がもうひとつ。晋司の経歴の中には、最初に勤めた会社を辞めてから次の仕事に就くまでの間に、三年七ヶ月ほどの空白期間があった。そういう事実は、このような場においては否定的に捉えられがちだろうから、何かうまい言い訳を用意した方が良いのではないかとも考えたが、もし自分が採用担当者だったら応募者本人が書いた内容を鵜呑みにしたりせず、過去に勤めていた会社に問い合わせて履歴書の内容に嘘や間違いがないかの簡単な確認くらいはするだろうな、と思う程度には疑り深い人間だった晋司は、実際に会社の人事部とか採用担当者といった人々がそんなことをしているかどうかも知らなかったし、そんなことに割く時間はないほど他の業務で忙しいのかどうかも知らなかったが、とりあえず、念のため、事実をありのまま書くことにしていた。とはいえ、その三年七ヶ月ほどの間、晋司は一切働くことなくただただ生きていた、というのが事実だったので、その期間に関する記述は「書いていなかった」というのが正しい表現になる。
というだけではきっとあまりに不親切なので、もう少し説明しておこう。大学卒業後、最初に勤めた会社での最後の数年間を慢性的な過労状態で過ごし、かけ込んだトイレの個室で過呼吸になったり、たまに血尿が出たり、徐々に精神的に不安定になりながらも、社内に常駐していた産業医のところに行くこともなく仕事を続け、長年関わってきたとある案件のプレゼンを目前に控えた徹夜作業の真っ最中、完成に向かいつつあった資料の誤字脱字をチェックする視界の隅に入り込んでいた窓の向こうの空が白みはじめていることに気がついた。その瞬間、職場で朝を迎えること自体はそれほど珍しくなかったにもかかわらず、ふと限界を迎えた気がした晋司は、その案件が終了するタイミングを見計らって会社を辞めた。それからは、最低限の生活を成り立たせる行為以外を行う意欲も持てないままほとんど引きこもりのように暮らしていたが、その間にも貯金は着実にすり減って行き、今度はそれが心配の種になってきたので、本気で切羽詰まる前に仕事に就かなければと思い、とにかく最低限の生活費を稼げるバイトにようやくありついた。そこに至るまでの期間が、およそ三年七ヶ月だった。
しかし、こんな内容をありのまま話すのは、「今月もなんとかギリギリ乗り切れた」を繰り返すだけのバイトから抜け出して、もう少しマシな暮らしと将来への安心感が得られる仕事を求めての就職面接では自殺行為だろう。だから、過労が原因で会社を辞めたことは話したが、辞めた後の空白期間については、「ようやく忙しさから解放されたので、まずはのんびりと過ごす自由を満喫したり」「もちろん節約しながらの貧乏旅行ですが、ずっと行けてなかった海外にも足を伸ばしたり」「今までの仕事では触れて来なかった分野を独学で勉強したりしてました」などと、極めてポジティブかつ有意義な時間の使い方をしたかのように話をした。彼の中では嘘ではなく演出の範囲内だった。事実、海外には行った。単なる観光以上のことは特に何もしなかったが。事実、YouTubeなどで英会話や投資やプログラミングの動画を見たりもした。どれも継続と呼ぶには程遠いほどしか見なかったが。とはいえ空白期間に関しては、どこかの会社に記録が残っている訳でもないし、ほぼ誰とも会わなかったので、裏取りされる心配もないだろう。という安心感からか、他の話題のときと比べても驚くほど舌が滑らかだった。
目の前の女性は、「いいですね、そういうの。私も長い休みが取れたらやってみたいです」と相槌を打った。晋司の頭と心を駆けめぐった思案の量とは不釣り合いな、極めて軽い相槌だった。この件はそれ以上深く追求されることもなく、話題は次に移って行った。信じたのだろうか。それとも嘘だと見透かしたうえでスルーしたのだろうか。晋司は、自分が語った「ポジティブで有意義な時間の使い方をする自分」が、今更ながらやりすぎだった気がしてきていた。金に困って食うための仕事を探している今の自分が発散しているはずの貧乏くさい雰囲気からすると、違和感がありすぎる演出だったかも知れない。しかし今更取り消す訳にもいかない。が、そもそも仕事以外の時間の使い方など、さして重要ではないのかも知れない。
そんなことに気を取られながら、もし今回の面接に合格した場合にやって来る最終面接のスケジュールについての説明などを聞いているうちに面接は終わった。晋司は何度か会釈しながら会議室を出たが、彼女も一緒に部屋を出てきた。わざわざエレベーターホールまで見送ってくれようとしているらしかったので、短い廊下を歩きながら、エレベーターが来るのを待ちながら、ほんとうに中身のない雑談をした。やっと到着したエレベーターに乗り込み、ドアが閉まる直前に再び会釈をし、ようやく一人になった。
一階に到着し、回転ドアをくぐって外に出ると、風が少し冷たく感じた。緊張と散漫な思考のせいで顔が火照っていた。腹が鳴った。晋司は遅めの昼食をとるために、来る途中に駅の近くで見かけた商店街に向かった。
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